200のハディース


慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において




第三章: 異教徒との戦い

    一、バドルの大戦(ヒジュラ暦二年、西暦六二四年)
    アッラーの道のために奮闘し、信仰を守るための戦いが 信者の上に義務として課されるようになると、ムハンマド は、自分たちを迫害するクライシュ族の不信仰者たちに制 裁を加えようと考え、彼らのシリアとの交易路を切断して 彼らの財源に打撃を加え、自分達に敵対する彼らの軍事力 を弱体化させる行動に出た。アブー・スフヤーンが大商隊 を率いてシリアを出たとの報を得たムハンマドは、三一三 人の信者と馬二頭、駱駝七十頭を率いてマディーナを発っ た。ムハンマド出陣の報を得たユダヤ教徒達がいち速くア ブー・スフヤーンに通報すると、彼はクライシュ族に援軍 を求める使者を送り、自らは迂回しながらバドルの地に達 した。知らせを受けたクライシュ族は、九五十人の兵士と 馬百頭、駱駝七百頭からなる軍をバドルに送った。クライ シュ出撃の知らせを受けたムハンマドは戦備を整え、敵を 倒して勝利を得るか、敵に倒されて殉教者として楽園に入 るかの二者択一を信者達に促した。戦闘はまず、両陣営よ り三名ずつの勇士が剣を交えた。ハムザはシャイバ・ィブ ン・ラビーアを倒し、アリーもアル=ワリード・イブン・ ウトバを倒したが、ウバイダ・イブン・アル=ハーリスは ウトバ・イブン・ラビーアと相打ちになって脚に傷を負っ た。ハムザとアリーが駆けつけてウトバ・イブン・ラビー アを倒したが、ムハンマドの許に運ばれたウバイダ・イブ ン・アル=ハーリスはムハンマドの膝の上で息を引き取っ た。両軍入り乱れての戦闘の結果、クライシュ族の不信仰 者勢は七十名の戦死者と同数の捕虜を出して敗走し、イス ラーム勢は十四名の殉教者を出したものの、勝利と莫大な 戦利品を得た。

    二、ウフドの戦い(ヒジュラ暦三年、西暦六二五年)
    バドルの大戦での復讐戦を望む不信仰者、多神教徒達は 三万に及ぶ大軍を編成してウフド山近郊に陣を敷いた。こ の知らせを受けたムハンマドは信者達と協議をし、戦闘準 備を整えた。彼の許に約千人が集まったが、ウフドに向か う途中で、アブドッラー・イブン・ウバイユと彼に従う約 三百名が踵を返してしまった。戦闘は当初、イスラーム勢 が優位であったが、イスラーム勢の弓隊の足並の乱れをつ いて、ハーリド・イブン・アル=ワリードが背後からイス ラーム勢に襲いかかり状況は一転してしまった。この戦闘 での不信仰者側の戦死者は十三名、信者側の殉教者は七十 名を数えた。

    三、部族連合の戦い(ヒジュラ暦五年、西暦六二七年)
    ウフドの戦いで勝利はしたものの、ムハンマドの首を取 ることのできなかったマッカの不信仰者達は、ムハンマド の首と、イスラームの壊滅を目指して、多神教徒やユダヤ 教徒を含む多数の部族を糾合、一万人の軍隊を整えてマデ ィーナに向かった。対する信者側は三千人を動員し、ペル シア人サルマーンの策を採って、部族連合軍のマディーナ 侵入を阻止するために堕壕を掘った。部族連合軍はイスラ ーム勢を目の前にして望壕に進路を阻まれ、三週間程両軍 睨み合いを続けたが、強風と寒気に戦意を失い、退散して しまった。アッラーは言われる―「アッラーは不信仰者達 を、何ら益するところなく撤退させられた。アッラーは信 者達の戦いを守ってくださる。アッラーは強力偉大な御方。」

    四、フダイビーヤ協定(ヒジュラ暦六年、西暦六二八年)
    部族連合の戦の翌年、ムハンマドは千四百人の信者を率 いて、ウムラをするため、マッカに向かった。信者達がフ ダイビーヤの地に達した時、クライシュ族の者達は彼らが マッカに入るのを拒んだため、双方の間で交渉がもたれ協 定が締結された。

      一、信者達とクライシュ族は十年間戦間をもたない。

      二、信者達は、クライシュ族の許可なくイスラームに入 信して自分達の許に来たクライシュ族の者を、クライ シュ族の許に送り返すこと。

      三、クライシュ族の者は、自分達の許に来た信者を、信 者達の許に送り返さない。

      四、諸部族は、自分達の好みに応じて、信者側とでも、 クライシュ族側とでも同盟を結ぶことができる。

      五、信者達は翌年、以下の条件に沿ってウムラをするこ とこ。

        (一)純粋にウムラだけを目的に来ること。
        (二)クライシュ族の者が全員マッカから出た後に、マ ッカに入ること。
        (三)信者達のマッカ滞在は三日三晩を越えないこと。

    五、マディーナに住むユダヤ教徒の追放
    ムハンマドはマディーナに移住して後、ユダヤ教徒と平 和条約を締結した。ユダヤ教徒側は屡?々、この条約に違反 してイスラームの人信者達に危害を加えようとしたが、彼 は、彼らの条約違反にも暫くは沈黙を保っていた。が、ヒ ジュラ暦二年(西暦六二四年)、カイヌカーウ族のユダヤ 教徒がアラブの一女性を辱め、止めに入ったイスラームの 信者を殺害したことから、ムハンマドはカイヌカーウ族を 十五日間に渡って包囲した。結局彼らはアッラーの懲罰を 恐れてマディーナから撤退することになった。ヒジュラ暦 四年(西暦六二六年)、信者の一人が誤ってナディール族 に属する二人のユダヤ教徒を殺害してしまった。ムハンマ ドがクライザ族の許に赴いて血の代償の支払いを約束する と、彼らはその場では同意したものの、しばらくしてこの 約束を反古にして、ムハンマド暗殺を企てた。このことを 知ったムハンマドはナディール族を包囲、マディーナから の撤退を言い渡した。翌年、ムハンマドとの契約に反して 部族連合の戦でマッカ側についたクライザ族を包囲した。 アウス族の者は、彼らを赦すようムハンマドに求めたが、 サアド・イブン・ムアーズは、男は処刑し、財産を没収し、 女性と子供は捕虜にするよう求めた。ムハンマドはサアド ・イブン・ムアーズの要求を受け入れ、クライザ族に対し ては最も厳しい処罰を下した。

    六、諸王への布教
    フダイビーヤ協定によってマッカ勢との間での十年間の 休戦が締結されたことにより、ムハンマドはイスラームの 布教に専心することができるようになり、隣接する各国の 諸王にイスラームヘの人信を勧める書簡を送った。この布 教に対する諸王の反応は様々であった。ビザンツ皇帝カエ サル・ヘラクレス帝、エチオピア皇帝アン=ナージャーシ ーは丁重な返事を返しているが、ペルシア皇帝キスラーは、 その文面が読み上げられるとそれを取り上げて引き裂いて しまった。ビザンツのブスラー総督アル=ハーリス・アル =ガッサーニーは書簡を引き裂き、アル=ハーリスに臣従 するシュラフビール・イブン・アムルは、書簡を携えて来 た使者のハーリス・イブン・ウマイルをマウタの地で処刑 してしまった。他方、バーレーン王ムンズィルは布教に応 じて入信し、エジプト太主ムカウキスは貢物を携えた返礼 の使節をムハンマドの許に送っている。


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