200のハディース


慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において




第一章: サダカと善行について

1 アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた。「人の体のあらゆる部分 は毎日日が昇っている間サダカをしなければなりません。 二人の人間の間を公正に執り成すこともサダカであり、家 畜を連れた者が家畜に乗ろうとする時に手を貸したり、家 畜に荷を積むのを手伝ってやるのもサダカです。よい言葉 もサダカです。礼拝に向かって歩む一歩一歩もサダカです。 また、路から障害物を取り除くこともサダカです。」

    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承。引用はムスリムの伝える表現による)

※注1−サダカとは「誠実である」という意味の動詞サダ カから派生した名詞で、日本語では自由喜捨という訳語 が当てられるが、以下に明らかなようにその意味すると ころは幅広い。
※注2−障害物とは、通行の妨げとなる大きな石やごみ、 ガラスの破片、釘などを指す。
2 アディー・イブン・ハーティムによると、アッラーの御使いは言われた。「業火から身を守りなさ い。たとえなつめやしの実の半分ほどのものによってでも。 それすら持ち合わせていない者はよい言葉によってでも。」
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)

※注―なつめやしの実の半分ほどの些細なものを人に与え ることもサダカであり、そうした小さな善行をすること によって地獄行きが免除されることを教えている。
3 アブー・ザッル・ジャンダブ・イブン・ジュナーダによると、 預言者が私に言われた。「良識に適った行いは、どんな ものでも軽んじてはなりません。たとえ朗らかな顔で兄弟 に接するというようなことでも。」
    (ムスリムによる伝承)

4 アブー・ムーサー・アル=アシュアリーによると、預言者は言われた。「すべてのムスリムに対しサダカは 義務です。」これに対してある者が「何も持たない者はど うしたらよいのでしょうか。」と尋ねると、彼は「自分の 両手でもって働き、収入を得て、その中からサダカをする のです。」と言われた。 「それすらできない者はどうすれ ばよいのでしょうか。」と尋ねられて、「貧しい者を助け てやるのです。」と答えられた。さらに「それすらしない 者はどうすればよいのでしょうか。」と尋ねられて、「良 識に適った行いや善行を勧めるのです。」と答えられた。 さらに「それすらしない者はどうなるのでしょうか。」と 尋ねられて、「悪しき行いを避けなさい。それもサダカで す。」と答えられた。
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)

※注−「悪しき行いを避ける」とは「他人に親切にして他 人を傷つけないようにする」という意味で用いられてい る。
5 ジャービルによると、アッラーの御使いは言われた。「良識に適った行いはみ なサダカです。」
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)

6 ジャービルによると、アッラーの御使いは言われた。「木を植えるムスリムに とって、その木から取られた食べ物はすべて彼のサダカで す。その木から盗み取られたものもサダカであり、動物が 木から食べたものもサダカであり、鳥がついばんだものも またサダカです。だれかがその木から食を得れば、それは すべてその木の所有者のサダカとなります。」
    (ムスリムによる伝承)

※注1−アナスによると、このハディースは、 「ムスリムが木を植え、種を蒔き、誰かがそこから食 を得たとすれば、それはすべてその木の所有者のサダカ となります。」となっている。
※注2−植樹は社会的にも有益で、推奨されるべき行為で ある。植樹によって人や動物が食を得ることが可能とな る。また、他人の所有する木の実を盗むことは罪である が、その本の所有者にとっては盗まれた実もサダカとみ なされる。
7 アブー・フライラによると、ある男が預言者の許に来て尋ねた。「アッラーの御使い 様、どんなサダカが最大の報酬をもたらすのでしょうか。」 すると答えて言われた。「健康で、貧困を恐れ裕福になる ことを望んで節約しているときに行うサダカです。サダカ を引き延ばしにして死ぬときになって、この者にはこれを、 あの者にはあれを、を言ってはなりません。また、あの者 にあれをやっておくのだったと言ってもいけません。」
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承。引用はアル=ブハーリーの伝える表現による)

※注―サダカには自発的、積極的な動機が要求される。遺 産相続については、イスラーム法で細かな規定がある。
8 アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた。「貧しい者とは一、二個 のなつめやし、あるいは一、二口の食べ物を求めて与えら れるという者のことではありません。貧しい者とは慎み深 くしている者のことです。」
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)

※注―両サヒーフに収められた別の伝承では、 「貧しい者とは人々の所を巡り歩き、一口、二口の食 べ物、一つ二つのなつめやしを与えられる者のことでは ありません。貧しい者とは日々の糧にも事欠くのに人に そのことを知られず、サダカを受けねばならぬ状況にあ っても物乞いをしない者のことです。」となっている。
9 アブー・スィルワア・ウクバ・イブン・アル=ハーリスによると、 私はマディーナで、預言者の後ろでアスルの礼拝をして いた。預言者は礼拝を終えると急いで立ち上がり、人々の 肩を跨いで夫人の部屋のひとつに向かった。人々は彼の急 ぎように驚いたが、預言者は彼らのところに来て、彼らが 自分の急ぎように驚いていることを見てとると、こう言わ れた。「私のところに少しばかりの金銀があることを思い 出したのです。それが気になって嫌だったので、分け与え てしまうように言いつけてきたのです。」
    (アル=ブハーリーによる伝承)

※注1−別の伝承では、 「家にサダカのための金銀をとり残してあって、それ を家に置いたままで夜を越すことが嫌だったのです。」 となっている。
※注2−イスラームの礼拝では、礼拝をリードする者が一 人先頭に立ち(この者をイマームという)、他の者はイ マームの後ろに並んで、イマームの動作に合わせて礼拝 を行う。「預言者の後ろで礼拝をしていた」とは、預言 者がイマームとなって礼拝をリードしていたことを指す。
※注3−イスラームでは一日に五回礼拝をすることが定め られている。日の出前に行うファジュルの礼拝、正午過 ぎに行うズフルの礼拝、日没までに行うアスルの礼拝、 日没後に行うマグリブの礼拝、就寝前に行うイシャーの 礼拝である。イスラーム世界では日没が一日の起点とな るため、アスルの礼拝が一日のうちの最後の礼拝となる。
※注4−礼拝を終えたのちは、しばらくの間、慣例として 祈祷、正念の時を個々人で自由に持つ。サダカをするの を先送りにしてはいけないことから、預言者はこの祈祷 をせずに急いで夫人の部屋へ向かって行ったので、礼拝 に参列していた人々は驚いたのである。
※注5−礼拝の際、イマームの後ろに並ぶ者たちは間隔を あけずに、前列から詰めて横一直線に並ぶ。横に広がり きれなくなれば、後ろへと第二列、第三列と作っていく。 「人々の肩を跨ぐ」とは、礼拝を終えてから、その場で 祈祷している人々の間を路いで礼拝所から出て行ったこ とを示している。
10 アブー・ザッル・ジュンダブ・イブン・ジュナーダによると、 私が「アッラーの御使い様、どんな行為が最も好ましい のでしょうか。」と尋ねると、「アッラーを信じ、アッラ ーの道のために努力することです。」と言われた。「どん な奴隷を解放するのがもっともいいでしょうか。」と尋ね ると、「主人に最も好かれ、最も値の高い奴隷です。」と 言われた。また私が「もしそうしなければ。」と尋ねると、 「物を作る人の手助けをするか、自分の必要とするものを 自分で作ることのできない人のために、その人が必要とす るものを作ってやりなさい。」と言われた。また私が「ア ッラーの御使い様、それもできなければどうするのですか。 」と尋ねると、「人に害を与えるようなことを避けなさい。 それがあなた自身のためになるサダカです。」と言われた。
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承。引用はムスリムの伝える表現による)

※注−預言者ムハンマドの時代(西暦七世紀)には奴隷制 が広く行われており、預言者ムハンマドは「もし主人が 自分の所有する奴隷を解放すれば、アッラーはその者を 地獄の業火から解放してくだきる。」と説いた。奴隷の 解放に関する多くの言及がクルアーンとハディースにみ られる。そして、この教理に共感を覚えて多くの者がイ スラームに改宗したのである。ただ残念なことに、なか にはこの教えに都合のいい時にだけ従う者もいて、そう いう者たちは老いて怠惰な、もはや何の役にもたたなく なってしまったような奴隷だけを解放していた。このハ ディースは、主人の言い付けを忠実に守り、主人に最も 好かれ、若くて働きのある、最も値の高い奴隷を解放す ることを勧めている。
11 アブー・マスウード・アル=バドリーによると、預言者は言われた。「人が、自分の家族のために金を使 って、その行為に対する報酬をアッラーに求めるのであれ ば、それもサダカです。」
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承。引用はアル=ブハーリーの伝える表現による)

12 サルマーン・イブン・アーミルによると、預言者は言われた。「貧しい者への施しはサダカです。 身内への施しには、サダカと親戚付き合いの二つの徳があ ります。」
    (アッ=テイルミズィーによる伝承)

13 アブー・フライラによると、預言者は言われた。「アッラーの作り給う日陰以外に日 陰のない日に、アッラーが御自身の日陰に誘い給う七人の 者がいます。公正な指導者、偉力並びなきアッラーヘの崇 拝のうちに成長した若者、心が常にマスジドに向いている 者、アッラーにあって互いに慈しみ合い、アッラーにあっ て出会い、そして別れる二人、高貴で美貌な女性が誘いを かけてきても『私はアッラーを畏れます。』という者、右 手がしていることを左手が知らぬ程にひそかにサダカをす る者、一人になってアッラーを念じ涙する者です。」
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)

※注1−「アッラーの作り給う日陰以外に日陰のない日」 とは、最後の審判の日を指す。耐え難い暑さに晒されて 審判を待つのではなく、特に許されて快適な日陰で審判 を待つことのできる七様の人物について語られている。
※注2−「アッラーにあって云々」とは、アッラーに対す る信仰がこれらの行為の前提条件であることを意味して いる。
※注3−マズジドとはイスラームの礼拝所のこと。キリス ト教の教会に相当する。
14 アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた。「未亡人と貧者のために 奔走する者は、アッラーの道に戦う戦士と同じです。」私 は彼が、「疲れを知らずに立って礼拝する者、日中飲食を せずに断食する者と同じです。」と言われたように思う。
    (アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)

15 イブン・アッバースによると、アッラーの御使いは言われた。「孤児を飲食に誘った者 には、彼が許され得ない罪を犯していない限り、アッラー は必ずや楽園をもって報いて下さいます。三人の娘あるい は三人の姉妹を養い、アッラーが彼女たちを自立させ給う まで教育し、彼女たちに愛情を傾注した者に対し、アッラ ーは楽園をもって報いて下さいます。」ある者が「アッラ ーの御使い様、二人の娘では。」と尋ねると、「二人の娘 でも。」と答えられた。
    (アル=バガウィー著「スンナ注解」による)

16 アブー・ザッルによると、アッラーの御使いの教友のうちのある者たちが預言者に 言った。「アッラーの御使い様、裕福な者が報酬をみなも っていってしまいました。彼らも私たちと同じように礼拝 し、断食し、私財からサダカを出しています。」彼は答え て言われた。「アッラーがあなたがたにもサダカするもの を与えらませんでしたか。タスビーフの一回一回にサダカ があり、タクビールの一回一回にサダカがあり、タフミー ドの一回一回に、タフリールの一回一回にサダカがありま す。良識に適った行いを勧め、間違った行為を止めること にもサダカがあります。また、あなたがた一人一人の夫婦 の交わりもサダカがあります。」彼らが「アッラーの御使 い様、ある者が自分の欲望を満たすためだけにしたことに でも、その者に対する報酬があるのでしょうか。」と尋ね ると、「その欲望が禁じられたことに向いていれば、彼は 罪を犯したことになります。許されたことに向いていれば、 彼には報酬があります。」と言われた。
    (ムスリムによる伝承)

※注―タスビーフとは、スブハーナッラー(アッラーに栄 光あれ)と言うこと。タクビールとは、アッラーフ・ア クバル(アッラーは至大なり)と言うこと。タフミード とは、アル=ハムド・リッラー(アッラーに讃えあれ) と言うこと。タフリールとは、ラー・イラーハ・イッラ ッラー(アッラー以外に神はない)と言うこと。
17 アブー・マーリク・アル=ハーリス・イブン・アースィム・アル=アシュアリーによると、 アッラーの御使いは言われた。「清潔は信仰の半分です。 アッラーヘの讃美は秤を満たし、スブハーナッラーとアル ハムドリッラーは天と地の間にあるものを満たします。礼 拝は光です。サダカは明証です。忍耐は輝きです。そして クルアーンはあなたにとって有利にも不利にもなる論拠で す。全ての人は、朝一日の行いを始めて、自分の魂を売り 安らぎか破滅かを得るのです。」
    (ムスリムによる伝承)

※注1−「アッラーヘの讃美は秤を満たす」について。最 後の審判の日に、人々は皆自分が生前に成した善行と悪 行の全てを秤にかけられる。善行が悪行よりも多い者は 楽園に入り、そうでない者は業火に入る。ここでは善行 を秤を満たす方法が語られている。
※注2−「礼拝は光です」とは、礼拝をする者の顔が、喜 びと幸せによって輝くことを意味している。
※注3−「サダカは明証です」とは、サダカをすることに よって良いムスリムであることが実証されることを意味 している。
※注4−「クルアーンは有利にも不利にもなる論拠です」 とは、クルアーンの教えに従う者には有利に働き、教え に背く者には不利に働くことを意味している。
※注5−最後の一節は「何をすれば安らぎを得るか、また 何をすれば破滅を得るかは予め全て決まっていて、安ら ぎを選ぶか破滅を選ぶかは自分自身の判断による」とい うことを意味している。


日本ムスリム情報事務所